心の口癖

「ご来院ありがとうございます。こちらへどうぞ。」 

その日、鍼灸院に新しい患者が訪れた。院長は笑顔で迎え、施術室へ案内する。

 「すいません。こんにちは。よろしくお願いします。」 患者は軽く会釈しながら入室した。


この日は前橋で記録的な猛暑。タオルで汗を拭う姿には、どこか落ち着かない気配が漂っていた。
 「こちらのかごに荷物をどうぞ」
「すいません。」 患者は小さく頭を下げながら、荷物をそっと置いた。

 「では、こちらにおかけください。この問診表にご記入をお願いします。終わりましたら、このボタンを押してください」
「すいません。わかりました。」
やがてチャイムが鳴り、院長が問診表を受け取りに部屋へ戻ると、また「すいません」という声が聞こえた。

患者の痛みの訴えは一つではなく、複数の症状が重なり合っていた。どれも深刻そうだった。
何をするにも口から出るのは「すいません」。

その響きに、きっとこの人はずっと周囲に気を遣って生きてきたのだろうと院長は感じた。
施術の説明を終えると、院長は優しく声をかけた。

 「一緒に治していきましょう。ただ、施術を始める前に、その『すいません』を『ありがとう』に変えてみませんか」

患者はハッとしたように目を見開き、そしてふっと笑みをこぼした。
 「わかりました。ありがとうございます。」
その瞬間、患者の表情は来院時よりもずっと柔らかく、優しくなっていた。